今回は、市営地下鉄グリーンライン北山田駅背後の丘に、国際プールと並びそびえるララヒルズにお住まいの秋山さんのお宅訪問です。
港北ニュータウンの独特な景観を形成しているのが、スカイラインを形成する丘の上の大規模集合住宅です。いくつもの谷戸(やと)を結ぶ緑道にのぞむ丘の法面(のりめん)を緑地として残し、10階から15.6階の高層マンションが開発前の“山”の頂を暗示するという設計思想だそうで、記者はこれを秘かに“ピーク建築”と呼んでいます。
そんなピーク建築の9階に住む「都筑ヒルズ族」(これも記者の勝手なネーミングですが) のお1人の秋山さんは、実は高校の地理教諭・副校長として、教育畑一筋を歩んでこられた先生です。地理の先生の眼から見た都筑とは一体どのようなものなのでしょう。
・横浜市の被害をさっそく調査
─3.11はいかがでした?9階というと相当揺れましたか?
「北東-南西方向に揺れたのか、テレビのボードが70センチくらい前に出てきたり、本やパソコンのモニターが落っこちたり、鍵を閉めないでいたから揺れると同時にリビングのガラス戸が開いたり閉ったりしました。
震度5弱だったでしょう、これが6とか7だとちょっと分からないけれど、でも倒れる心配はないから安心してます。」
(ララヒルズは2003年に完成した総数426戸の大規模マンション。RC造10階建の高層棟には施工・三井住友建設の独自技術MOS構法が採用されている。これは耐震のための間柱を主柱の間に入れ込む構法だという。)
「震災後すぐに、横浜の被害状況を調べました。金沢区のマンションの地盤沈下の例がTVでは取り上げられてましたし、海沿いの埋め立て地が液状化したのだろうと思っていた。ところが、横浜市内で最も被害件数が多かったのは、実は港北区だったんです。
95ヶ所、いわば川による沖積(ちゅうせき)地の液状化で住宅地が被害にあってます。(現場の写真を見ながら)この写真のように普通の住宅地なんだけれど、傾いたり、大谷石が崩れたり、今でも地盤沈下が続いているようです。都筑区では3ヶ所の地盤沈下がありました。」
・その土地の履歴を知る方策を伝授
─その詳細ってどのようにしてお調べになったんですか?
「港北区役所の総務課です。区役所に行って、図面もらって、実際の現地を教えてもらって写真に撮ってきました。消防局危機管理室の作成した液状化マップと照合してみると、ほぼ対応しているのがわかります。」
─東日本大震災後、自分の土地の履歴を知るために古地図を探すことが流行っているそうですね。
「新たに土地を購入して家を建てるとか、戸建て住宅やマンションを購入する場合でも、その土地の歴史、つまりもともと固い台地だったのかそれとも埋め立てたのかを確認することは重要でしょうね。なかなか、不動産会社も教えてくれるものではないし。じゃどうするかといったら国土地理院の過去の地形図を見るのが一番です。
横浜市の図書館で明治10年代の2万分の1地形図をはじめ、各年代の地形図が閲覧できます。コピーすることも可能です。
また、インターネットで「横浜市地形図」と検索すると、建築局都市計画課のページで昭和初期と昭和30年代の3千分の1の地形図を見ることができます。都筑区についてだと、昭和30年代が見られるので、目的の土地の過去と現在を見比べられます。」
─こちらに引っ越す時にはやはり事前に地形図を調べたのですか?
「そうですね。都筑区は鶴見川、早淵川の沖積地を除いて、比較的地盤の良い多摩丘陵と下末吉台地で構成されています。この辺りは下末吉台地というわけです。」
「ただ、丘陵地の宅地造成では、山の部分の土を削り取る「切り土」で生じた土で谷を埋める「盛り土」の手法が使われることが多いのですが、港北ニュータウンでも谷戸が盛り土で埋められて、10mも高くなっているところもあるようです。元々谷戸だった盛り土部分には、地下水が溜まりやすいので大地震の時に地滑りや液状化現象が起こりやすいといわれています。やはり、地歴=その土地の履歴を知っておくことは大切なのではないでしょうか。」(このほかにも横浜市の行政地図情報提供システムの、地盤View特にワイワイ防災マップはとても使えるマップになっています。一度訪れてみてはいかがでしょう。)
・緑が欲しい…ヒートアイランドの都心を脱出
─そもそもはどちらにお住まいでした?
「新宿区の市ヶ谷に13年くらい住んでいました。5階建てで24戸と小さなマンションでしたが、オーナーの息子さんがメキシコに長く滞在していたということで真っ白な壁のメキシコ風デザインの、斬新で非常に目立つマンションでした。そのうえ4, 5階をらせん階段でメゾネット、オール電化と、まぁ格好良かったことは間違いないですね。
人を呼ぶにも格好ついたし交通は便利ですから都会生活を満喫するには充分すぎるくらいでした。」
「でも、周りはコンクリートの建物ばかり。そのころ私立学園の副校長で定年を迎える年齢になり、妻も音楽の教師を定年まで勤め上げた時期でしたが、とくに真夏は、ヒートアイランド現象で夜中でもコンクリートを触るとあったかい、クーラーをつけていないといられないような環境に、どうしても堪えられなくなりました。緑の多いところへ行きたいという欲求がふつふつと湧いてきたのは確かです。
それに、管理費も5万を越していて、リタイア後の身には少し重かったこともありますが…。」
「そこで、地理の授業で教えていた多摩ニュータウンに妻と休みの日に行ってみたんです。そうしたら開発時期が古いせいか建物がふるびていて日曜日なのに誰も歩いている人がいない。たまにすれ違うのはお年寄りばかりで、子どもの姿も声もなくて寂しい。新しく建設されている地区は最寄駅から離れていて少し不便な感じがしました。」
「じゃあ横浜の港北ニュータウンはどうかと思って見に来ました。そうしたら緑が多いし、まちなかでも駅前でもベビーカーを押している若い人がいっぱいいて、活気にあふれている。とにかく環境がいいこと─緑もある、歩道もちゃんとしている、緑道もある─ここに住めたらいいなと妻と話しました。」
「ちょうどララヒルズの募集が始まる頃で、さっきもいったように下末吉台地の上で比較的地盤はいい、地震・災害対策もしっかり計画されているということもあって応募しました。最初は3番街の上の方で申し込んだのだが抽選にはずれて、次期募集で今の4番街に当たったので即刻住んでいたマンションを売りに出しちゃった。
全部洋間でメゾネットだったりオール電化だったりと当時としては珍しい物件だったから、なかなか売るのは難しかったけれど、結局お医者さんに売れました。」
「それで自分たちはURの賃貸で東山田にあるコンフォール城山に入りました。半年くらいかなぁ窓から見えるここは建ててる途中でしたから、しょっちゅう国際プールの階段の上まで来て建設中の現場チェックをしていました。(笑)」
・マンション住まいの醍醐味は、眺望にあり
─実際に入居して如何ですか?
「グリーンラインが出来てほんとに便利になりました。都心まで出るにしてもすぐですし、都筑区内の移動も楽になりました。5年前まで、退職後も学園(東京成徳学園)の広報誌づくりを受け持っていたので、自由出勤で王子まで通っていました。」
「センター北までバス、ブルーライン、田園都市線…と何回も乗り換えて2時間かかった所を、今だったら日吉から南北線で一本でいけるんですね。もう少し早く開通していたら(グリーンラインの開通は2009年)そのルートで通えたのにね今でもそれだけは残念です。
そういえば、グリーンラインが開通して便利になったこともありますが、北山田駅ができた頃、一時、僕自身も売却して引っ越そうかと思ったくらいここも高値になりました。106平米で4700万円ちょっとだった入居時より800万から1000万も値上がりしたり、プチバブルと同時期だったこともあるかもしれませんが。」
「ニュータウンの計画がしっかりできているので歩行者専用道路や緑道を利用すれば、交差点を渡らずに駅や買い物、病院に行けるというのは大きな魅力ですね。」
「入居時のオプションで、いらない和室を取り払ってリビングを広げ、壁面収納にしました。今、リビングの一角を書斎コーナーにしていますが、この窓からの眺めがいいですよ。
丘の上の9階なので素晴らしく見晴らしはいいです。西には丹沢と富士山、南に横浜のみなとみらい、その遠くに三浦半島の丘陵、東は房総半島、北に向かって都心の高層ビルが、晴れた日にはスカイツリーまで見えます。羽田に発着する飛行機も見えるのがうれしい。
これから夏になると花火がね、みなとみらいから多摩川からあちらこちらの花火が食事しながら見られるのがいいですよ。」
「やはりマンションですね、防犯の面でも安心ですし、木造の戸建てだと維持管理に手間ひまかかるでしょう。近所づきあいもしなきゃならないし、年取ってきて体がきかなくなってきたときに庭をきれいにしておくのも大変でしょう。」
「自分たちは共働きだったから両親に子どもの面倒を見てもらえて、定年まで働けたのはありがたいとは思っているけれども、子どもたちが成長してそれぞれのみちを歩んでくれるなら、あえて同居しないでもよいと思っています。近くにいるに越したことはないけれど。」
充実したパブリックスペースもララヒルズの魅力の一つだ
─人間関係には意外とドライと感じますが、正反対の方向にみえる管理組合や自治会を立ち上げたとか?
「426戸約1200~1300人規模のまちですから、何らかのルールを決めておいた方がいいでしょう。というので理事の輪番制での選出方法に始まって年間計画、管理会社との交渉や緑地の維持管理と横浜市との固定資産税分の還付の交渉、植栽委員会の設立を提起しました。」
「自治会も立ち上げて、コミュニティ形成には欠かせないイベント等の、住民の福利厚生に関わるものの開催要件を洗い出ししました。実は、市ヶ谷の時にも24戸でしたが理事長の時に大規模修繕を経験していました。そこでも、費用の不足分の借入を銀行と交渉して返還方法をどうするかを、なるべく負担の少ない方法で考えることをやっていました。
自分たちに必要になってくることがおおよそ予測がついたこともあります。」
「いろいろ自分が興味のある都筑区の研究や調査に精を出したいので理事長を辞めて何年か経ちますが、総会で質問する回数も多いせいか時折歩いていると挨拶されたりします。あそこは管理組合がしっかりしている、初代の理事長が基本となることをまとめた、と不動産屋にいわれたと入居者から聞きました。(笑)」
・都筑の魅力を伝えるマップづくり
─今、力を入れているのが?
「都筑区の土地の歴史や人物往来も含めたマップづくりです。3年前になりますが、都筑区内北部を散策するための、コース設定から区の委員会でやった、「水と緑の」北部散策マップとその前にあった南部散策マップを、さらに良くしたいと、「都筑をガイドする会」を毎月ガイドする形で(笑)歩いたり、写真を写すのが趣味なので、神社仏閣の写真や都筑区のお祭りなど、年中行事を精力的に撮影しています。」
「20周年に向けて南北マップを合わせたガイドブックをと思っていますが、区政推進課からは断られてしまって今、web上で発表していこうかという話が出ているものです。」
「いろいろ調べていくと、都筑区の遺跡やランドマークになるような場所に案内看板の一つもないところが多いのに気付きます。貝塚などは結構あるんだが住宅地と化していて、その場所の名残もないのでは、子どもたちに自分たちの郷土がどんなところで、どう成り立ってきたのかを伝えることもできない。なんとか伝え、知らせる方法はないかと思っています。
その土地の記憶を知ったり、感じとることもいずれ必要となると思うわけで、簡単な看板を設置することを提案していきたいと思っています。」
とにかく自分の足で、眼で確かめてみる…地理の基本でしょうか。傘寿というお歳なのに今でも1日2万歩を歩いてもへっちゃら、ついこの間も、ご夫婦でドイツに行きアルプスの山頂まで登り写真撮影していらしたという秋山さんの驚異的なフットワークをこれからも披露してくださいね。