chap.2 学生時代からのあこがれ “港北ニュータウン”にこだわって建てた我が家は、シンプルな矩形にきっちり収めた防災設計──見花山-荒井邸

荒井邸外観

見花山に一昨年建築された荒井さんの免震住宅を訪ねました。
実は3月初旬の取材予定が、東日本大震災で延期に。防衛施設問題調査分析官というお仕事柄、建築技術者として被災地への派遣要員となり多忙な日々の合間の春の一日、やっとお伺いできました。かりん公園や緑道ゆうばえのみち近く、静かな住宅地の一角、シンメトリーなエレベーションに少し変化をもたらす縦のラインを強調した印象的なファサードの総二階のお宅です。
変形、高低差のある土地をうまく活かし、道路から少し角度をもたせたプランは、より立体的で堂々と見えます。エントランスに植えられたクロチク(黒竹)も、何気にいさぎよさを感じさせます。

エントランス

・目指したのは災害に強い家

─免震住宅と聞いて飛んできました。3.11で実力が試されたわけですね。

「残念ながら当日は仕事や学校で家族の誰もこの家にはいませんでした(笑)。だから自信もって揺れなかったとは言えないんだけれど。でも家に帰ってきてみても食器とか物も落ちていないし、普段と何も変わっていなかったのは、免震が実証されたといってもいいかもしれません。今でも、外壁の“免震住宅”のプレートを見た宅配や郵便の人に当日の話を訪ねられるんですが、ちょっと申し訳ない感じ。」

「そもそも家を建てるなら、地震に対して強い家、災害に強い家を、と思っていました。一級建築士、特に構造設計を修めた者としてのメッセージみたいなものを表したかったこともあります。確か、設計にあたってのコンセプトをメモしたものがあったなぁ。」

後日見せていただいたその設計コンセプトの一番最初には、(1)耐災害性を最重視。構造家に相応しい安全で強い住宅を追求。そして最後の方には、“可能な限り免震を追求(マンションの売却価格にもよるが)”とありました。


当時のエスキース集を前に

─いわゆるハウスメーカー(住友林業)が独自開発した免震技術でしょうか

「免震構造自体は、スターツのグループ会社であるエス・テク・リソース(株)のシステムですね。もとは清水建設技術研究所等と共同開発したもので、マンションやオフィスビルの免震構造を小規模建築物に展開するという路線で開発され、ハウスメーカー も 採用しているようです。免震構造というと僕の知ってる範囲では都筑に、一条工務店の免震住宅の事例がもう一軒ありますね。一条も調べてみたけれど建具や設備機器等の多くがオリジナルのようなので、これらの選択肢と設計の自由度を考えて住友林業にしました。」

「マンションやビルと免震の基本的な構造は同じ。建物の荷重を支えつつ地震の時に建物本体が地面とは別にスライドするベアリング、弾性で元の位置に戻すゴム、伸縮により揺れを抑えるオイルダンパーで揺れのエネルギーを吸収しようというものです。ただ、ビルと違って木造で軽いのか台風や風の強い時はけっこう動くんですよ。地震かと思うと風だって(笑)。そんな時はワイヤーを巻いて固定させる装置を使うことになる。」

─建築費のうち免震のための予算はどれくらいの比重でしたか

「約7~800万が免震工事だから、38坪ちょっとの延べ面積の家の総工事費のうち1/5に相当するくらいかな。戸建てにはまだまだ高いですね。」

─設備はオール電化ですか


「災害時最初に復旧するのが電気と聞いていたので、電化を選びました。(原発事故後の計画停電をみると)コンロとかガス給湯もあった方が良かったのかなんて思います。」(奥様の言葉)

「阪神の時も、ガスが復旧するのに2か月かかったということがあったし、基本的には電気が最初に復旧するでしょう。オール電化は正解だったはずなんですが…。今度のことがあったから、これからはエネルギーについてもハイブリッドとか、個別の発電や、蓄電池とか燃料電池とかの開発が進むと思いますよ。」

・ハマッ子もあこがれた港北ニュータウン

─ここに土地を見つけるまでを知りたいです。都筑には何か縁があったのですか?

「鶴見区生麦で生まれ、その後も横浜で育った生粋のハマッ子です。小学生か中学生の頃に発表された横浜市の6大事業を知って、すごくわくわくしたことを覚えています。子供心にも、これからの時代に横浜がすごく発展していくようなイメージを持ったし、うれしかった。」(横浜に限りない愛着をお持ちの荒井さん。実は、“みなとみらい21”の名付け親だったとか。今年のお正月毎日新聞神奈川版が臨海エリアの特集をしました。その中で荒井さんの案が柳原良平選考委員の目にとまったという“みなとみらい21”命名秘話が語られています。)

「大学で建築を学んでいた学生時代には、ニュータウン開発が始まったばかりだったけれど、電話帳の配達のアルバイトでこの周辺の配達を一手に引き受けてた。誰も配達の人間の中で「横浜の茅ヶ崎」を知っている人がいなかったから(笑)。まだ茅ケ崎あたりにポツンポツンと家が点在してるだけの田舎で、車で一軒ずつ回らないと配達できなかったような頃です。」

「ここら辺はだから開発前からずーっと知っていたし、途中の都市計画段階も学会誌や雑誌の記事で見ていたし狙ってたんです。」

─狙っていた…。都筑区に住むということ?

「都筑区というより、“港北ニュータウン”に絶対住もうと思ったわけ、都市計画がよく出来ているから。まちとしてしっかりできてる。グリーンマトリックスもそうだし、交通網などもしっかりできてる。そこで20年くらい前から、横浜市民優先枠のある集合住宅、例えば中川駅前のガーデンヒルズの抽選にも応募してみたりしていたんです。社会人になって、結婚してからも中野の官舎住まいだったのを鶴見の実家に住民票を移してね。14.5年前くらいかなやっと当たってアークガーデンに入居できた。ところが買ったと同時に大阪に単身赴任だった(笑)。その後も大阪、札幌と単身赴任が続きました。」

─これまで都筑区に住んでいて、例えば戸建てを新築したりマンションを買ったりして区内で移る人も多いそうなんですが、そのへんの魅力みたいなものはあるのでしょうか

「あると思いますよ、都筑区には官舎があるんですけど、そこに住んでた知り合いがこのまちは絶対いいっていってたし、友人などがやはり中川の方に家建てたりと、一度住んでみたらここがいいという人はいっぱいいますよ。」

「環境がいいからって一言で言うけれど、緑が多いし、車と交錯しないで安心して歩けるし、整った街並みだし、買い物にも便利だしって住環境すべてがいいってことだと思う。それは、子育て世代にも、年寄りにもすべての人に当てはまるんじゃないかな。」

─この土地を見つけたいきさつは、どこかの不動産屋さん情報があってのことですか?

「いや、建築行政に従事する公務員としてどの企業、業者とも関係無く、情報が公開されてフェアな横浜市の財政局の土地払い出しの公募があったので応募したんです。横浜市有地の売却です。ニュータウンの土地販売では最後の方だと思います。他に50坪くらいのところもあったかな、ここは変形だけれど240㎡ 70坪ちょっとの広さがあった、ふれあいの丘にも近いということもあってこちらに応募しました。坪100万位が市場相場だったかな。で、土地は確保できた。第1種低層住居専用地域、建ぺい率40%、容積率80%はニュータウンの住まいの原型とみていいと思う。満足です。もう更地の販売は少ないだろうから、今後は。」

「建物の工事費は、スミリンと交渉して頭金をちょっとにしてもらって、途中分割にしないで前のマンションを売ったお金で残金を払うことにしました。工事とほぼ同時進行で売りに出したくらい。築12年約82㎡ 3LDKです。それまでの下落基調(例えば5000万→2800万)がミニバブルで一時4割くらいアップ(3900万)してたのがリーマンショックでまたガクッと下がった(3500万位)。ちょうどショックの真っただ中くらいでしたけれど、半年くらいで1.2.3月の需要期に間に合って売れた。港北ニュータウンできちっとしてるとこならやはり売れてるようです。」

・キーワードは簡素、毅然、矩形、堅実、高尚

─少し道路からレベルが上がっているから堂々として大きく感じます。

「自分で設定したデザインキーワードとして、簡素、毅然、矩形、堅実、高尚といったことがあります。外観はそれが反映されていると思う。」

「僕の起こした基本のレイアウトなどを、スミリンに渡して実施設計まで落としこんでもらいました。プランもL字にしたり雁行させたり、そりゃもういっぱいやってみた。で、結局落ち着いたのは総二階でシンプルな矩形。整形の矩形の平面が合理的で耐震性にも優れています。バランスも良くきれいにきっちり収まって、免震の効果も最大限活きるし、気持ちもいいです。」

いろいろ悩んだあとがうかがえるエスキース集

─念願の港北ニュータウン、設計にあたって街並みとかについて留意したところはありますか

「ここは、港北ニュータウン街づくり協議区域です。やはり目立ちすぎない、まちの中にあって突拍子もないことやって乱さない、ということが重要で、あとはそれなりに個性があった方がいいと思う。道路からのセットバックや生垣などである程度街並みの豊かさは出来ていくのではないかと思ってます。自分の家はやはりシンプルですっきりしたファサードでいこうというのは思ってました。」

参考: 港北ニュータウン地区街づくり協議指針より 一般住宅地区
(1)地上3階建てとする場合は隣地境界線から2m以上の壁面後退を行ってください。
(2)敷地周囲は極力緑化を施してください。
(3)敷地周囲の街並に対する配慮として、
ア 極力勾配屋根をかけてください。
イ 屋根や壁の色は、周辺街並との調和を図ってください。

 

・恩師清家清へのオマージュがそこここに

─設計の時に思い描いた建築ってありますか

「いつも(仕事上で薫陶を受けた)清家先生のことは考えていましたよ。だから、和室にも清家先生の「斉藤助教授の家」のディテールを借りているんです。和室の横から入る納戸。あと、さすがにトイレに戸はつけましたがドアは少なく建具は引き戸です。日本は引き戸の文化。300坪の土地の清家先生の極小平屋とまではいかないけれど、年取ったら1階=平屋ですべてまかなえるように(可動式の間仕切りなどで空間を仕切れるように)、リビングも広ーくしておいた。和室も床の間とか書院とかのいわゆる和室ではなく、来客時の対応スペースといったとらえ方で、室内空間は簡素に、フレキシビリティをもたせて、モダンデザインの基本です。」


一坪あるトイレ開口は1/3のスペースで済む「ローリングドア」

「内装の濃い茶と白は僕の趣味だけど、外装の色や家具カーテンなどのインテリアは和風嫌いの娘のコーディネートです。なかなか和モダンには理解が得られないけれど、そのうち桂離宮の良さや美しさを解ってくれると思ってます。」

「桂離宮よりベルサイユ宮殿の方が好きといった子ですから(笑)。」(奥様の言葉)

「雪谷の清家先生の作品は3年半前に2軒同時になくなっちゃった。ニュータウンもこれから相続がらみで大きな屋敷とかがミニ開発とかになるのかなぁ。」

「我が家はこれが唯一の財産みたいなもので、娘がムコさんを見つけて同居するにしてもしないにしても将来2世帯にできるように2階には水廻りの配管もしておいた。1階には僕たち夫婦が車いす生活になってもいいように広めのスペースもとっておきました。そのうちベルサイユ宮殿みたいになるかもしれませんが(笑)。」

あこがれの港北ニュータウンに念願の災害に強い住宅を建てた荒井さん。お宅にはまだまだいろんな可能性が秘められているようでした。